一度は見たい交響曲|ハイドンの機知あふれる第45番「告別」

ユニークな作曲経緯と演奏から、ハイドンの交響曲の中では知名度の高い「告別」。
1772年の作曲というから、ハイドンさんが40歳のころの作曲です。

40歳といったら、ロールちゃんの夫と同い年ですよ〜♩

ロールちゃんの夫は、一旦クラシックを口ずさみ始めた止まらない体質のようで、例えばモーツァルトの「アイネクライネナハトムジーク」なんて第1楽章〜第4楽章まで歌いきってしまいます。歌いきったあとのスッキリした表情。満足度☆☆☆☆☆五つ星って感じです。

クラシックを好きになったロールちゃんも、理解不能の世界であります(笑)が、もしかしたらロールちゃんもそのうち歌えるようになったりするのかな♡

あなたも、これだったら歌えるよー!なんていう曲ありますか?
今度、一緒に鼻歌の会とか開きたいですねえ♡

あ♩話が脱線してしまいましたね。

ハイドンさんのお話に戻します。
当時、ヨーロッパでは、それまでの理性重視や啓蒙主義といった考え方に対し、感情の優越を主張する作風が文学上で流行りました。

「シュトルム・ウンド・ドランク(和訳すると「疾風怒涛」)」といわれるこの運動は、音楽の世界にも影響を与え、この曲も、そうした運動の影響を受けています。

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1 作曲の経緯

当時、ハイドンは、貴族の宮廷楽団の楽長という立場でした。当時、ハイドンが仕えていた「エステルハージ候」は、毎年夏になると、楽団を夏の離宮に連れていくのが常でしたが、その年は、離宮での滞在が長引き、楽団メンバーの家族たちはそれぞれ自宅に戻ってしまう有様。

そんな様子を見たハイドンが、候に楽団メンバーの気持ちを察してもらうため、面白い工夫を施しました。それは、第4楽章に、演奏者たちが少しずつ退席し、最期はヴァイオリンが2人になってしまうという、極めて例のないものでした。

楽団員の気持ちを演奏において示すというハイドンの機知もさることながら、その気持ちを汲み取って、初演の翌日には宮廷を戻したエステルハージ候の器量も大したものですね。

CDでの演奏を聴いても、第4楽章で演奏者たちが一人ずつ去っていく様子はうかがえますが、やはり一度ウィーンにいってワインを嗜みながら実際の演奏を見てみたいものです♪

しかし、演奏者が一人づつ減ってしまうなんて演奏者の方はさみしくないのかなあ・・・。←ロールちゃんの心の声。

2 曲の構成

第1楽章は、嬰ヘ短調という珍しい調性を用いて、当時流行した「シュトルム・ウンド・ドランク」の影響を色濃くみせる楽章。深刻でシリアスなハイドンの表情が浮かんでみえるようです。

第2楽章は、第1楽章とはうってかわって穏やかな援助楽章。

第3楽章は、3拍子のメヌエット。いかにもハイドンらしい、優雅な楽章です。

第4楽章は、急速なテンポのフィナーレですが、後半に、「告別」の別称の由来となった部分があらわれます。寂しげな曲想の中、それぞれのソロパートの演奏を終えた演奏者たちが一人ずつが退席し、最期は残ったヴァイオリン2人により、名残り惜しそうに曲は閉じられます。

3 ロールちゃんの独断で決めたおススメCD(笑)

・アンタル・ドラティ指揮 フィルハーニア・フンガリカ

ハイドン・告別

初期のハイドン交響曲は、ハイドンの交響曲を一躍有名にした立役者、ドラティの演奏で聴きたいところ♩

過剰は演出をさけ、端正な古典的美しさを醸し出した演奏は、「告別」の由来となった、楽団員の気持ちを十二分に表現しています。

よかったら聞いてみてくださいね♩

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