苦悩との格闘!モーツァルト交響曲第40番第4楽章は荒れ狂う嵐

今回は、モーツァルト交響曲第40番第4楽章です。

スポンサーリンク

1 曲の構成

・アレグロ・アッサイ
分散和音から始まる第1主題は、音階が激しく上昇と下降を繰り返します音階を含む激しいもの。

途中、木管も加わり、少し甘美な響きが加わりますが、すぐに激しい曲に戻ります。

展開部はさらに曲想は厳しくなり、まさに「荒れ狂う嵐」といった様子。

曲想は緩むことなく、そのまま、この稀代の傑作の幕を下ろします。

2 モーツァルトにとっての「短調」の位置づけ

当時、モーツァルトを含め作曲家の多くは、自分がお仕えする貴族のために演奏したり曲を作ることで生計を得ていました。

そのため作る曲は、お仕えする主人の好みに沿ったものとなり、楽器編成の面でも自分が所属する貴族お抱えのオーケストラの編成に制約されたりしました。

モーツァルトはウィーンに出てきたことで、ある程度の「自由」を手に入れましたが、依頼に基づき曲を作るというスタイルはザルツブルク時代と変わりはなく、勢い、曲の内容は、依頼者や聴衆の好みを意識したものとならざるを得ません。

そのような状況下で、交響曲第40番のような激しい曲想の短調の曲を書くということは、モーツァルト自身の中にこのような曲を書かざるを得なくなるような強い衝動があったということだと思います。

そう考えると、モーツァルトの曲は、長調よりもむしろ短調の曲こそ、モーツァルト自身が書きたかった曲であり、モーツァルト自身の内面が色濃くでているのではないかな、とロールちゃんは思うのです。

3 交響曲第40番におけるモーツァルトのメッセージ

では、この交響曲第40番において、モーツァルトはどんなメッセージを私たちに投げかけているのでしょうか。

「厳しい現実に目をそむけず、頑張っていこう!」と前向きにとらえるのか、あるいは「本当は夢の世界に浸っていたいのに、厳しい現実を突きつけられている私は、なんてかわいそうなんだろう・・・」と嘆き悲しむのか・・・。

このあたりは、聴く人によっていろいろな解釈があると思います。

ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」はその第4楽章において、困難に立ち向かう闘争の姿勢が明らかですが、モーツァルトの場合は、そこまでの主張は見受けられませんよね。

なぜでしょうか?

これは、ロールちゃんの推測に過ぎませんが、この理由は、モーツァルトとベートーヴェンという2人の作曲家の前後に生じた、啓蒙専制君主制の崩壊という歴史の流れと関係しているからではないでしょうか。

啓蒙専制君主とは、一般的には「啓蒙思想の影響を受けて、産業や文化の奨励や軍隊の近代化などに取り組んだ開明的な君主」をいい、モーツァルトが仕えたヨーゼフ2世は、この啓蒙専制君主の典型ともされている人です。

しかし、フランス革命などの動きと連動するなどし、啓蒙君主制が崩壊したことで市民は自由を得た半面、あらゆることが自己責任のもと勝ち取っていかなければならなくなったベートーヴェンの時代と異なり、啓蒙君主制が健在であったモーツァルトの時代では、演奏会の聴衆である貴族には、困難に立ち向かうという認識が必要なかった、ということかもしれません。

だからこそ、ベートーヴェンのような、「困難に立ち向かう意思」みたいなものが希薄なのかな、と思いました。

4 おススメCD

超有名な名曲であることもあり、多数のCDがでているため、おススメCDを絞ることが本当に難い曲ですが、ひとつに絞るとすればこれ。

・ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団(CBSソニー)

モーツァルト・40番

ワルターには、ウィーンフィルによる名盤もありますが、1950年代のライブ演奏であり音質が劣るため、録音状況も含めて考えた場合、最初の一枚としては、コロンビア響による新盤でよいでしょう。

それでも、ワルターならではのスケールの大きな演奏が楽しめます。
感情の思い入れも十分。初めて40番に接する人に安心しておススメできるCDです♪

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました♪
記事更新の励みになりますのでよろしければポチッとお願いします♡

↓↓↓

にほんブログ村 クラシックブログへ
スポンサーリンク

シェアする

フォローする